昔、中国の杞の国の人は「天が崩れ落ちてくるのではないか」と憂えたという。しかし天は崩れ落ちることはなかった。「杞憂」=将来のことについてあれこれと無用の心配をすること、の源である。
ダイヤモンド社刊『地球白書2000-01』によれば、この50年間に世界人口は25億人から61億人に増えた。さらに50年後には90億人近くにまで達するであろうと予測している。
人口が増えても地球の持っている能力は拡大しない。この地球はいったい何億人まで、そしてどのくらいの生活レベルまで、人類の生存を受け入れる能力があるのだろうか。7月の異常な暑さや今年の台風の奇妙な動きを見ていると、地球が身悶えしながら発しているSOS信号ではないかと感じるのは、私の杞憂に過ぎないのか。
大気中の二酸化炭素濃度の上昇にともなう地球温暖化は海面水位の上昇をまねき、インド洋では推定で珊瑚礁の7割が死滅しているという。珊瑚礁は海洋生物の命を育む揺り籠であり水産資源の減少は避けられない。
アマゾン川流域の熱帯雨林は地球最大の酸素供給基地であり、そこから発散する水蒸気は降雨をはじめ数々の気象現象を左右する。その熱帯雨林の三分の一が、二酸化炭素濃度上昇によるエルニーニョ現象によって破壊され始めている。この破壊は自然火災や人為的な伐採をはるかにしのぐ規模である。
オゾン層の破壊も深刻だ。欧米では子供たちに直接太陽光をあてさせない地域が増えている。日本でも最近、プールに屋根をつけたり、屋外での運動の時には長袖長ズボンを着用し、首の部分を守るために日除けの布が垂れ下がっている帽子をかぶった子供たちのことが報道されていた。人類に無限の恵みを与えてくれる太陽の光が、人間の為したオゾン層破壊によって凶器となってしまったのである。
一トンの穀物の生産には約千トンの水を必要とする。中国全土の穀物生産の4割を作るのが華北平原だが、ポンプによる無理な地下水の汲み上げによって一年に1.6メートルずつ地下水位が低下しているという。将来、中国が穀物を輸入せざるをえなくなったときに、はたして中国に穀物を輸出できる国があるのだろうか。そしてその時には食料自給率が四割にも満たない日本は…、想像することさえ恐ろしくなるのである。
そんな杞憂を抱えた私の一日は千数百匹のミミズ君達との挨拶から始まる。我が家の生ゴミの一部は、縦25㎝横60㎝高さ50㎝の木箱に入ったミミズ君達が食べてくれている。一日約300g。電気代もかからず生ゴミの嫌な匂いもせず、その糞は良質な堆肥として菜園に還っている。彼らが黙々と生ゴミを食べている木箱の蓋を開けると、光を嫌う彼らはザワザワと音をたてて大急ぎで土の中にもぐりこむ。まるで「となりのトトロ」にでてくる「真っ黒くろすけ」の様だといつも思う。そして、生命の循環する自然の仕組みは人間の理解と想像をはるかに越えている、と教えられるのである。
「人間は何かを犠牲にすることなしに自然から何かを得ることはできない」と『地球白書』は語っているが、そうであれば私たちがどの部分を犠牲にすることが最も相応しいのかを、もう一度考えてみる必要があるだろう。「今」を犠牲にするのか「将来」を、か。「利便性」をか「生命」か。理想と現実の落差に意気消沈しながらも、今自分ができることは何なのかと足元を見つめる以外に方法はない。
そんなことを考えながら、今朝も私は、梨の皮やキャベツの芯を細かくきざんでいる。私の理解と想像をはるかに越えたミミズ君達に敬意を抱きながら。
■こちらのコラムに関して
こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
掲載されている記事・写真などコンテンツの無断転載はご遠慮下さい。
高根沢町 公式ホームページはこちら