米飯給食
朝早く、田んぼをじーっと見ている農家の人たちをよく見かけます。朝夕、必ず田んぼに行き、わが子を育むような熱い眼差しに稲たちも日々、緑濃く成長しています。歳を重ねるごとに「お米はおいしい」との思いが強くなります。
米といえば、十一年前に町長に就任したばかりの時のことを思い出します。当時、町内の小中学校の米飯給食は県学校給食会を通じて購入した県内産コシヒカリが使用されていました。米どころ高根沢の児童生徒がどうして高根沢産のコシヒカリを食べられないのだろう。学校給食に関することは町教育委員会の所管であり、私に直接の権限はありませんが、率直にその疑問を町教育委員会にぶつけてみました。当時の仕組みは、学校給食会との長い付き合いの中で形作られてきたもので、「理想はわかるけれど現実は難しい」「県内のほとんどの学校給食はこの仕組みの中で行われている」といった回答が来たのでした。今では当たり前の言葉になった「地産地消」ですが、当時は説明しないと理解いただけない言葉でした。その後、町教育委員会の地道な努力の甲斐もあって、時間はかかりましたが平成十三年五月八日から米飯給食米はすべて町内産コシヒカリに切り替えられました。手元の新聞スクラップを見ると、平成十三年四月二十八日付け下野新聞に「高根沢町の8小中学校、町内産コシヒカリで。地産地消向け来月から」との見出しが躍る記事があります。今考えれば何でこんな当たり前の事が記事になったのだろうと思いますが、既存の仕組みを変えるために汗を流してくださった方々に心から感謝を申し上げます。例えば塩野谷農協は給食費を値上げしないですむように、価格や手数料に理解を示してくださいました。
今、町教育委員会では、米飯給食の次なるステップ「炊飯器給食」の研究検討がなされています。現在は学校給食センターで炊飯した米を容器に入れ替えて各学校に届けていますが、それを各学校で炊飯器で炊くことが可能かどうかの研究です。ご飯の味は米本来の実力、流通保管の仕方、炊き方と食べる時間で決まります。高根沢のコシヒカリの実力は折り紙つきですが、それだけでは本来の実力を発揮できるとは限りません。実はこの「炊飯器給食」、五年前に町教育委員会に提案しましたが、当時はまだ研究検討にまで至りませんでした。今では宇都宮市の一部の小中学校でこの方法が取り入れられ、児童生徒の評判もよく、残食も減ったという結果が出ています。しかし乗り越えなければならないハードルもあります。炊飯器の保管場所、必要な電力を確保するための工事、そして最大のハードルは校長先生をはじめ現場の教職員の皆さんのご理解です。出来るところから少しずつでいいと思います。一度にすべての学年ではなく順番ででも、ランチルームで給食をとるクラスだけでも。あくまでも私はお願いする立場でしかありませんが、農家の方から話を聞いたり、実際に農作物を作ったりという
食育活動をしている児童生徒に、日本の文化が凝縮されている米への理解を深めてもらえたら、この国の将来にとっても有難いことだと思うのです。
炊飯器給食の研究をしている中で驚いたことがありました。「学校給食衛生管理基準」なるものがあり、それによると児童生徒は米を研ぐ事ができないのです。自分たちが食べる米ならば、できるものなら研ぐこともしてほしい。これは素朴な思いです。何年か前にテレビで観たのですが、米を研ぐときにママレモンを入れて研いだ若い方がいました。笑うに笑えなかった記憶があります。そして研ぎ汁も、そのまま流すと環境への負荷が高いこと、だから流さず別にとっておいて植木の根元にかけるといった、人生の先輩方の美しい知恵も学んでくれたらと願うのです。
安心安全を徹底するための学校給食衛生管理基準を否定するものではありませんが、良かれと考えて作った世の中の規則というものが、人間としての基本的な能力や危機に対する対応力を奪ってしまうとすれば考え物ですし、細かな規則を作り中央政府が箸の上げ下げまで地方を縛ることの現実をまた一つ知る機会となりました。
ただこれらの執拗なまでの細かな規則は、公共団体に何か失敗があると、病的なまでに非難し一切の失敗があってはならぬという世論に対しての公の防御本能の表れでもある気がしてなりません。公権力が国民を守るために法令等を制定することは当然ですが、何かあった時に非難をかわすためのものなら、こんな不幸な関係は早く直したいと強く思っています。
■こちらのコラムに関して
こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
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