超党派フリースクール等議員連盟設立総会。
迷わずに議連に加盟した。
平成十年、町長として見たのは、適応指導教室という言う名の町の体育館の片隅に設置された、生徒が誰もいない教室だった。不登校の児童生徒を学校復帰させるために、文部省が考え出した教室だということだった。高根沢町内には不登校と呼ばれる児童生徒が二十名はいるというのに誰も来ていない。この子達はいったい何をしているのだろう。学校に行けないことが問題ではなく、この子達の居場所のないことが問題だと思った。
文部省は善意で制度を考え出したのだと思う。しかし、全く機能していない。機能していないものに税金を投入している。適応指導教室に来ないのは果たして児童生徒の責任なのか?否、断じてこの子達の責任ではない。十人の不登校児がいればその理由は十通りある。この子達は決して甘えているのでも、わがままでも怠けているのでもない。誰だって先生や友達と楽しい学校生活を送りたいに違いないのだ。そんな子供達に向かって、学校復帰を前提として、しかも適応指導という上から目線の残念な名前の教室に来いと言って誰が来るだろうか。君達は適応していないから適応できるように指導してやると言っているのと同じだろう。
そんな思いから、というよりももっと激しい気持ち、つまり「だったら町でやってやろうじゃねえか」と始めたのが、学校復帰を前提としない、公設民営のフリースクール「ひよこのいえ」だった。
公設のいいところ、つまり出席扱い、授業料は当然なし、学校給食もだすという利点と民営のいいところを組み合わせて、敷地面積六百坪築九十年の古民家を借りたのだった。
昨年、ひよこのいえの十周年が、卒業して行った子供達だけの手によって行われた。「不登校をしたからこそ、今の自分がある」そんな自信に溢れた顔、顔、顔だった。自分で選択した学びと出会いの空間が、必然的に自律から自立へと導いたのだと思う。
かつても今も、ひよこのいえには町外からたくさんの子供達が来ている。文部省の方針に逆らった施設だから、県教委からも認められていない。認めているのは町教委だけ。したがって町独自の予算である。本来は町内の子供達だけを対象にしなければ税の使い道として説明がつかないのだが、子供達に市町村の境界は関係ない。目の前に苦しんでいる子供がいれば、何とかしたいというのは大人の自然な感情だろう。この現実を県教委に訴えても、何の反応もなかった。これは当時町の教育長が宴席で言われたそうだが「高根沢は財政に余裕があって、勝手にやっているんだからどうぞご自由に」ということだった。教員や教員OBである他市町の教育長の脳味噌の中味に、自分が激怒したことは言うまでもない。
今日の会議で、フリースクール全国ネットの奥地圭子さんに久しぶりに会った。七、八年前に長野市で行われた全国サマースクールで講演をした際に会って以来だった。あの田舎の町長が居ると知ったのかどうか、学校教育制度の外にあるフリースクール等は公的支援がない中で、高根沢町の「ひよこのいえ」は全国のモデルだと奥地さんは会議で発言された。
自分が教育長や教職員、町職員、そして子供達とその親御さんに言い続けてきた言葉「どこで学ぶかではなく、何を学ぶか」。日本が真の意味で懐の深い、多様な価値観や生き方を認める国になれるように、つまりそれは日本が良い国になることだが、そのためにも多様な学びが可能となる仕組みを創り上げたいと思う。