7月2日・3日の両日、塩谷広域行政組合を構成する一市四町のゴミは、焼却施設への搬入が出来なくなった。両日に高根沢町内で回収された可燃ゴミの量は約24トン。2日が月曜日であったために通常より3割ほど量が多かった。搬入できないこれらのゴミは一時的に「宝積寺アクアセンター」の敷地に保管することになった。
連日30度を越す猛暑。わが町の可燃ゴミは基本的に生ゴミが除かれているが、それらが除かれていない他市町の可燃ゴミは、腐敗が進むとともに強烈な悪臭を放ち始めたのだった。
わずか2日の搬入不能で、ゴミ行政は完全に機能不全に陥った。今回の事態は私に二つのことを教えた。
一つめは、現在の生活スタイルがいかに脆い基盤のうえに成り立っているかということ。システムのほんの一部分が欠けただけで短時間のうちにすべてが行き詰まってしまう、砂上の楼閣のようなものであるということであった。
二つめは、ゴミが魔法のようにこの世から消えてなくなるものではなく、焼却処分の過程において施設の立地する地元の方々に如何に痛みを与え続けてきたものであったかということだった。ゴミを排出する側はゴミが出れば出るだけ、さも当たり前のように収集ステーションに出してきた。指定袋の購入という経済的負担はあるにしても、施設が立地する地元の方々の痛みを痛みとして感じてきたかとの問いを自らに突きつけたときに、何人の人が肯定できようか。私も含めて、心のどこかでは迷惑をかけて申し訳ないという気持ちはあっても、痛みを痛みとして正面から受け止めてきたとはいえないだろう。
現在の焼却施設は平成2年4月に稼動開始となった。当時は焼却施設にかかる国の規制値をクリアーするものであったが、新たな規制強化によって、平成14年12月1日からは排出ダイオキシンの基準を1立方メートルあたり5ナノグラム以下にしなければならなくなった(1ナノグラムは10億分の1グラム)。改修によってその基準をクリアーすることは可能だが、5ナノグラム以下はあくまでも基準であってその値は低ければ低いほどよい。塩谷広域行政組合と議会はその研究を重ね、結論としてゴミ固形燃料化(RDF)施設を選択したのであった。
ゴミ固形燃料化施設の歴史は約20年になる。当初失敗例も確かにあったが、現在では技術的に確立し、私自身が視察をした富山、山口、三重の施設におけるダイオキシン排出量は0.01ナノグラム以下。さらに現在の焼却施設では熱エネルギーの利用はなされていないが、固形燃料化することによってそのエネルギーを利用することが出来る。事実、富山では温水プールや中学校、特別養護老人ホームの熱源として利用され、今は大規模温室にも利用されているようである。
以上、ダイオキシン問題、そしてサーマルリサイクルの視点からの熱利用といった点からゴミ固形燃料化施設という方針を決めたのだが、地元の皆さんにとっては、第一に「新設増設は認めない」という協定書の存在、第二には施設の永久固定化を許すことは出来ないという強い信念があり、今回のゴミ搬入阻止行動となったのである。
広域行政組合の副管理者として地元の皆さんにお詫び申し上げるとともに、ゴミ問題の根本を町民の皆様と真剣に考えていきたいと思う。
■こちらのコラムに関して
こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
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