先月号のこの欄では、道路整備の優先順位をルール化した「道路評価システム」について書きました。今回は「道普請制度」について説明したいと思います。
確かに「道路評価システム」は税金の使い道をきちんと説明する上では有効です。物事をスパッと両断できます。しかし、それを運用する中で、やるせない現実も明らかになりました。それは整備順位下位の路線は下位のままで固定化してしまうという現実でした。交通量も少なく、ほかの地域とを結ぶ幹線でもない地域内完結型の路線は、よほどの条件変化がない限り評価点数が上がることはありません。つまり、残念なことですが整備は当面不可能との結論をこのシステムは示していたのです。
よくよく考えてみると、地域内の生活道路で、極端に言えば地域の方々だけが利用するような道路であれば、国や県の補助事業には該当しないことはもちろんですが、大型トラックやバスが通ることは稀であり交通量も多くないといえます。そうであるならば、杓子定規に道路構造令を適用して頑丈な道路を作る必要はありません。地域の方々が相談して労力を出し合い、町が資材とノウハウを提供することによって、「道路評価システム」では切り捨てざるを得ない地域の道路を救済することができるのではないのか。
「道普請」制度はこんないきさつから生れました。「道普請」、聞き慣れない言葉ですが、「普請」とは本来、大衆がお寺のお堂などの建設に労力を提供することを意味していた言葉です。その言葉が広い意味で用いられるようになり「道普請」という言葉になりました。みんなで使う道の建設修理にみんなで汗をかいた、かつての「普請」の精神を取り戻して、道路がきれいになるばかりではなく、地域の絆が強くなったり、地域に暮らす方々の心がきれいになったら、こんなに素晴らしいことはないんではないか、などと夢を抱きながら提案申し上げたのです。
昨年の十一月の夜、ある地域の行政区長さん宅を訪ねました。ちょうど行政区役員の方々が道普請の相談の真っ最中でした。私は恐る恐る言葉を切り出しました。
「町でやるべきことなのに、皆さんにご苦労をかけて申し訳ありません」
すかさず区長さんが私の言葉をさえぎるように言われました。
「町長それは違うぞ。昔は道でも水路でも全部、皆でやったもんだ。こうやって相談しているとなんだか懐かしくて楽しくてなあ。これはいい事だよ。」
今の時代に、こんな労力をおかけして申し訳ないという気持ちをはるかに上回る有り難いという思いに、私は不覚にも涙がこぼれそうになりました。
今年度は既に、四路線七九二㍍が完了し、あと二路線四八三㍍が予定されています。建設課によると、コストは通常の道路建設に比べて約四割で済んでいるとのことでした。
梅の香をともなった春の気配に加えて、「結いの心」を帯びた風が、少しずつ吹きはじめている気がしています。
■こちらのコラムに関して
こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
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