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この国を滅ぼしたくない

かつのりコラム

高橋かつのりが自身の考えや想いを綴るコラム『夢だより 風だより』

夢だより 風だより【号外】
2007.10.01

ウサギと亀

 「ウサギと亀」の寓話はたいていの人が知っている。圧倒的に劣る亀の歩みに安心して、ちょっくら昼寝を決め込んだウサギがレースに負ける話である。このイソップの寓話は、ウサギの側から言えば「慢心はいけませんぞ」という教訓であり、亀の側からは「たとえ歩みはのろくとも、日々のたゆまぬ積み重ねこそが大切」ということだろうか。

 

 素直でない私はそれとは少し違った見方をしている。それは「ウサギは亀だけを見てレースをしたのに対し、亀はゴールだけを見て歩いた」のである。亀がウサギと自分を比較してしまったら、その走力の差に、最初からレースなど放棄してしまったに違いない。しかし彼は、ウサギがどんなに早くゴールしようとそんなことに関係なく、ただゴールだけを目指したのである。

 

 もうすぐ完成する「駅東口とちょっ蔵広場」に取り組んだとき、私は亀になった。駅東に打ち捨てられていた石蔵は、何を語らずとも町の歴史を語っていた。昔、収穫した米を輸送するため、一時的に保管したのがその蔵である。一年の仕事を閉じるための最終章の舞台だったのだ。それだけではない。宝積寺駅を舞台とする、出会いや別れ、喜び悲しみを見続けてきたのもその蔵だったのだ。

 

 この石蔵を残したい。当初の計画と違うと言われようとも、使い勝手が悪いと批判されようとも、この石蔵を壊してしまうことは高根沢町の歴史を壊してしまうことになるでそれが町づくりと言えるのか。

 

 幸運にも恵まれた。隈研吾という世界的建築家が参画してくれたのである。「建築とは、建物が建つ一つ一つの場所の歴史や風土を大切にすることだと思う。言い換えれば、その場所をどれだけ尊敬できるかだと思う。」とは隈氏の言葉だが、田舎の亀の考えと見事に共鳴したのだ。

 

 常に他者との比較の中で生きるのではなく、自らの努力と能力、可能性と夢を信じる「亀」こそが、この広場にはふさわしい。高根沢町にとっても同じではあるのだが。

■こちらのコラムに関して

こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
掲載されている記事・写真などコンテンツの無断転載はご遠慮下さい。
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