キリンビール操業三十周年
キリンビール栃木工場が高根沢の地で操業を始めて三十年が経ちました。工場での初仕込、初びん詰、初出荷は昭和五十四年。当時の高根沢町の人口は二万三千人弱。現在の人口が三万千人弱ですから、二万二千人前後で推移していたわが町の人口が増え始めた歴史と、これまでのキリンビールの三十年の歩みはそっくり重なることになります。四月二十二日に記念式典がキリンビール栃木工場で行われましたが、工場の三十年と高根沢町の三十年を重ね合わせたときに、とても感慨深いものがありました。
キリンビール栃木工場は操業当初から厳しい環境基準を自らに課しました。国で定めた環境基準よりも数段厳しい環境基準は、立地した高根沢町の環境を損なうことなく、文字通り企業と自治体が共存共栄できるという企業姿勢を示してくれたのです。
工場の立地によって、雇用や税収など地域経済に対する貢献は計り知れないものがありますが、そのこと以外にも感謝しなければならないことがあります。例を挙げれば、工場では操業時の植栽と、その後の植樹祭を通じ環境保全林「ふるさとの森」を形成し、三十ヘクタールの敷地内に郷土の樹木十万本がすくすくと育っています。さらに「水源の森づくり」と称した水の恵みを守る活動が、キリングループの皆さんによって平成十五年から行われ、鬼怒川上流の国有林に四千本の苗木を植林し、毎年、下草刈や枝打ちなどの保全活動が今日まで続いています。毎年行われる県道の清掃や鬼怒川河川敷のゴミ拾い活動も続けられています。美味しいビールを作り続けるためには豊かな水が必要であり、そのためには、目の前を流れる水だけではなく、直に接する機会などほとんどない遠き源流の山々の木々を大切にしなければならないのだという本物の創造力を教えていただきました。三陸の牡蠣(かき)養殖漁師が山に木を植え続けていることと同じです。また、単なる醸造技術だけではなく、目の前にゴミがあったら自然に拾うという人間力こそが、最後には美味しいビール作りに繋がることを行動で示してくださいました。
もう一つ例を挙げます。キリンビールの敷地内には工場ビオトープというものがあり、自然観察会が行われています。ビオトープとは小動物や植物、昆虫などが生息する空間という意味です。つまり生命が共生しあい豊かに循環する場所が工場の中にあるということです。しかしこのビオトープ、食品工場では決して歓迎されるものではありません。もし何らかの原因でビールタンクの中に一匹でも小さな昆虫が混入したら、その損害は莫大なものになるからです。できるだけ地面をコンクリートで固め、植栽などは必要最小限にし、小動物や昆虫の命が循環する環境など排除することが、安全でありコスト削減にもなることなのです。でも、キリンビールは敢えて難しい道を選びました。動植物を大切にすることが製品作りにリスクをもたらすとしても、本来人間の命を繋ぐ食品は、あらゆる命が繋がる環境の中で作られるべきだという考え方なのだと思います。あるべき姿をどこまでも追い求める。出来ない理由をあげつらうのではなく、あるべき姿を実現するために何を乗り越え、自らを高めるために何をしたらいいのかを常に考え行動する。たとえリスクとコストは余計にかかっても、熟練の技術で困難を乗り越えて、本物を提供するのだという矜持(きょうじ)を感じるのです。
私はキリンビール栃木工場の三十年の歴史から、町づくりの本質を学んだ気がします。雇用や税金、それだけでも有難いことなのにと思うと感謝するばかりです。
「キリンが立地する高根沢町はきっと良い町なのでしょうなあ」とよく言われますが、いつの日か「あの高根沢町で作られるのだからキリンビールは本物にちがいない」と言われる高根沢になれたらと思います。
そのことだけがキリンさんへの唯一の恩返しなのですから。
■こちらのコラムに関して
こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
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