裸足の田植え
田に水が入る。空気がきれいになり、かすかに水が香る。蛙が鳴き始める。水面に空が映り、風景に命が宿る。好天に恵まれた五月二日、キリンビール栃木工場主催の「ふるさとの食・体験ツアー」で県内外から応募されたご家族の皆さんと田植えをしました。場所は上太田ビレッジセンター近くの水田。田植えは初体験という子供さんを中心に、皆裸足で田んぼに入りました。泥にのめりこむ足の感触を、最初は「気持ちわるーい」とか「動けなーい」とか言っていた子供たちは、少しずつ慣れてくるにしたがって、一緒に植えている親御さんに「お母さん下手だね、まっすぐになってないよ」などと言える余裕まで見せてくれました。昼食はすべて高根沢産。コシヒカリのおにぎり二種、塩むすびと「御料みそ」むすび。「御料みそ」の新じゃがいものみそ汁、タケノコとシイタケの煮物、元気あっぷむら「雪花菜(きらず)」のがんもどき、キャベツの漬物というメニューでした。どれも好評でしたが、一番嬉しかったのは皆さんが口々にお米のおいしさを褒めてくださったことでした。お米といえばもう一つ嬉しいことがありました。五月十四、十五日に小学館の月刊女性誌の取材陣三人(すべて女性でした)が高根沢町を訪れ、元気あっぷむらに泊まりました。朝食はどうでしたかと聞いたところ、撮影担当の女性が「お米がおいしくて朝から四杯食べてしまいました」と言ってくださったのです。朝食ですからおかずは定番です。アジのひらき、焼き海苔、納豆、湯豆腐(雪花菜の豆腐)、みそ汁。それでご飯四杯は主食たる米の力以外の何ものでもありません。私たちが毎日、普通に当たり前のように食べている高根沢産コシヒカリの実力をあらためて外部の方が教えてくれたのでした。
久しぶりに裸足で田んぼに入って感じたことがありました。それは足の裏全体で大地を踏みしめる気持ちよさでした。土踏まずがしっかりと働いているのです。土踏まずからの感触はまっすぐに脳天に達し、安心感とか安堵感といった感情が心を満たしました。人類が二本の足で立ったときの感触がDNAの中に記憶として残っていて、そのことがもたらした感情なのでしょう。この感情は火を発見した人類のDNAが、囲炉裏の火やキャンプファイヤーの火を見たときにもたらす安堵感と同じものだと思います。私は自宅で使っている薪ストーブの火を無言で何時間でも見ていて飽きることがありませんし、心がとても平らになっているのを感じます。
日本人の体格の向上に反比例して運動能力の低下が指摘されたのはいつ頃だったでしょうか。同じ頃、土踏まずの無い子供が増えているということも聞いた覚えがあります。石蹴り、木登り、川遊び。かつては毎日のように興じていた遊びは消え、同時に裸足になる機会も無くなりました。それは日本が「豊か」になってきた歴史と軌を一にしています。かつて遊びの中で自然に身につけていた踏ん張る力や平衡感覚が、もはや遊びを通しては得られないものになってしまったとしたら、私たちは物や便利を少しばかり捨て去る覚悟で豊かさの中身を考え直す必要があるでしょう。誇るべき高根沢町のコシヒカリ。遺伝子の中に残る人類の原初の記憶。運動能力と土踏まず、さらに日本の木の文化はイコール素足の文化でもあったことなど、今年の田植えはいろんなことを考えさせてくれました。
裸足になれる安全な場所を少しでも多く復活させること。また一つ宿題が増えたようです。
■こちらのコラムに関して
こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
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