たんたん祭り
十月二十三日、「たんたん祭り」が元気あっぷむら西側の田んぼで開催されました。今年は、震災復旧のために余力のない町に代わって、町内の農商工業者や企業の皆さんが資金繰りから運営までのすべてを担っての開催となりました。石塚毅男実行委員長をはじめ実行委員メンバーの熱意の賜物か、昨年の数倍もの方々が来場されました。
今年は、行列の出来る有名ラーメン店の店主の皆さんが中心となって設立された「栃木照る照る坊主の会」が、店という垣根を越えて共同開発した「高根沢ラーメン」が登場しました。高根沢ラーメンは鶏がらの白湯スープに県産小麦の麺、町内産野菜や春巻き、鶏肉のチャーシューが特徴の、魂のこもった一杯でした。当日限定五百食は瞬く間に完売となり、その益金十万五千五百三円は十一月十七日に、震災復興のために町に寄付いただきました。
行列の出来る有名ラーメン店の皆さんですから、自分の商売だけをやっていたほうがよっぽど儲かるでしょうに、この方々は、福島県、宮城県の被災地でラーメンを提供するなどの支援活動も続けています。そればかりではなく、上三川町の中学校では特別授業を行い、ラーメン作り体験に加えて「どんな意味を持って社会に出ればいいのか」というメッセージを中学生に伝えてくれています。「栃木照る照る坊主の会」の理念は” 多くの明日を照らしたい“というもので、その志のもとに自発的に集まった人々による団体ということでした。
ライスワーク(食べるための仕事)ライクワーク(好きだからやってる仕事)ライフワーク(一生をかけてやる仕事)ライトワーク(人に光を与える仕事)。
ダイヤモンド社刊「こころのチキンスープ5」に書いてあったことを思い出しました。「わが道を行き財をなす」という本に興味深い調査結果が紹介されていたそうです。二つのグループからなる総計千五百人の人々の二十年後を追跡調査したものでした。千五百人の八十三%を占めるA群は、将来やりたいことのために、とりあえず資金稼ぎのために働いている人々。十三%を占めるB群は、お金のことは後回しにして自分が今やりたい仕事をする人々。二十年後の調査の結果は、千五百人のうち百一人が富豪になりましたが、百一人中百人が、お金のことは後回しにして自分がやりたい仕事をしていたB群の人々でした。
災害時相互支援協定
災害時、役場職員は不眠不休で本当によく動いてくれました。しかし、厳しい行財政改革の結果、かつて二百三十九人いた職員も今は百八十六人まで減りました。今回の災害で、あと二十人職員がいてくれたら、もっときめ細かく災害対応が出来たかもしれない、との思いは私の本音でした。しかし、災害のために職員を増やすということは本末転倒です。災害時の備蓄品にも同じことが言えます。大量に備蓄することは安心ですが、財政負担も覚悟しなければなりません。それらを解決する方法は、遠隔地にあり同時被災の心配のない自治体同士が災害時相互支援協定を結ぶことです。まず手始めに、長崎県雲仙市との間で協議を始めました。今後、同時被災の可能性のない多くの自治体と、災害時相互支援協定の準備に入って行きたいと考えています。
福島原発行動隊
一般社団法人福島原発行動隊の存在を知りました。福島第一原発事故の収束作業に当たる若い世代の放射能被爆を軽減するため、比較的被爆の害の少ない退役技術者・技能者を中心とする高齢者が、現場に赴いて行動することを目的として発足したそうです。行動隊は自発的参加者によって構成され、したがって各人の思想信条、心情は一切問いません。この原則は原発の是非についても同じで、メンバーには脱原発論者も原発維持論者もいるとのことでした。彼らを結び付けているものは唯一つ、原発事故の収束という大目的だけなのです。
「現場で出来る限りのことをしたい。防護服もいらない。高い放射線が人体にどんな影響を与えるのか、私の身体で研究して 次の世代のために役立てて欲しい」というメンバーの話に、言葉を失いました。日本人は、先輩方は、美しい。
■こちらのコラムに関して
こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
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