今日も朝が来て、私たちはいつもと同じように仕事を続けています。寝て目が覚めれば、当然のように鳥たちがさえずる清浄な朝が来る。そんな当たり前のことが、とても有難いことだと最近とみに感じます。人類史を顧みれば、現代人のように永らう命は奇跡的なことで、人類は何万年もの間、死と隣り合わせで生きてきました。しかしどんなに追い詰められても、命の流れを止めずに生き抜いてきたから、今日無事に目が覚める自分がいます。これまでとこれからの人類史の途上に自分は生きている、その一人なのだということに気が付きます。
町民有志で組織する「陸前高田支援隊」。昨年に続いて今年も、小さな支援かもしれませんが現地を訪問し続けています。現地で見たこと、聞いたことと同じような情景が、「あなたと健康」という小冊子九月号に載っていました。被災して何もかも失って仮設住宅で一人生活している方が、「苦しいのはお互いさま、明るく生きなければ」と道端の空き地に花の種を蒔きました。開花して並んで微笑みかける花に「もう失うものは何もない。あなた達に元気を貰って生きなくちゃね」と語りかけて笑っていました。ある方は少しの空き地に野菜を育てました。「初めてのキュウリが二本できました。仮設住宅の部屋にある手作りの仏壇にお供えして、一本はなくなった三人の肉親と一緒に、残りの一本は初物だから、近くのあの人やこの人と共に・・・さてどう分けましょうか?」と微笑まれました。
文豪幸田露伴は運命発展の三要諦を説いています。一つ目は「惜福(せきふく)」、自分に舞い込んできた福を使い切ってしまわず一部をとっておく。二つ目は「分福(ぶんぷく)」、自分の福を分け与える。三つ目は「植福(しょくふく)」、福を新たに植える。そういう心掛けの人に幸運の女神は微笑むというのです。
セイコーの創業者、服部金太郎の若い頃の逸話もなかなかです。服部金太郎が奉公していた商店が破産しかかった時、金太郎は自分の預金を全部、主人の前に差し出してこう言いました。「これはお店からいただいた給金の残りですから、自分で勝手に使ってはいけないと思い、貯めていたものです。それがお店のお役に立てていただけるなら、この上の喜びはありません。」誰でも出来ることではありませんが、この心のありようには気高さを感じます。この気高さが、服部金太郎の人生を大きく発展させた礎となり、世界のセイコーを創り上げたのかもしれません。
昔の日本では、一人前の大人がしなければならないことは二つありました。それは「かせぎ」と「つとめ」でした。「かせぎ」とは言うまでもなく生計維持のことですが、「つとめ」とは世間全体に対する責務のようなものでした。誰に指示されるでもなく黙々と毎日、家の前の道路のゴミを掃く方々。消防団員、行政区長、保護司、日本語講座の講師の皆様。被災地の瓦礫を片付け、どこまでも被災者に寄り添おうとしている人々。その他にもまだまだたくさんの「つとめ」を果たされている方々の尊い姿を見ることができます。ここ何十年か、日本だけでなく世界中が「かせぎ」に極端に傾き、その結果今の情況があるのだとすれば、この行き詰った今を何とかするには、私たちが「つとめ」を取戻すことなのかも知れないと感じています。
今月号はまとまらない文章になりましたが、「豊かさ」という将来の目標が揺らぎ疑問符が付けられた現在において、さて自分は何を拠り所として町づくりをしていったらいいのかと毎日考え続けていることを書き連ねました。
■こちらのコラムに関して
こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
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