今、日本は大きな転機にある。文明が変わらなくてはいけないし、文明を基礎づける哲学が変わらなくてはいけない。なぜなら、際限のない欲望が生み出したものが原子力なのだから、「欲望」について論じなければ原子力発電所を廃炉にしても本質的な解決にはならないからだ。実際に、すべての原発が運転停止をしている状況の中で、文明を基礎づける哲学は何ら変わっていない。国会における反原発の方々からも哲学の議論は聞こえてこない。その結果、現在、原発停止による電力不足の穴を埋める化石燃料確保のために、年間約三兆六千億円もの国の富が国外に流出している。二酸化炭素の排出量も増えている。このことは、人間の考え方が変わらなければ、原発を止めたところで、何ら本質的な解決にはならないことの証である。
明治期以降わが国に入ってきた西洋思想は、人間は自然を征服できるというものだった。自然は人間にとって収奪の対象だった。それに対して、日本人が昔から持っていた考え方は、人間は自然の一部であり、自然の恩恵をいただいて生業を立てるというものだった。自然という元本の利子をいただいて生きていくと言ってもいいだろう。だからこそ元本を食いつぶすような行いは、自らの首を締めることになるのであり、厳に慎まなければならなかったのである。動物はもちろん、植物も鉱物も、路傍の石ころにさえ魂が宿るという考え方や、『草木国土悉皆成仏』の思想も日本人が昔からもっていたものである。
自分はかつて、祖父からこう諭された。
「誰も見ていなくても、必ずお天道様は見ている」
「天に貯金をする行いをすれば、利子がついて必ず自らに帰ってくる。自分の代には帰ってこなくても、子や孫の代に必ず帰ってくる」
文明を基礎づける哲学の議論。これこそが国会でやるべき議論だと思う。